かっこいい紳士

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ああ、なんて素敵なのだろう。こんな気の利いたことを言えるくらい、余裕のある紳士になりたいものだ。


ちなみに私は、席を譲ろうと思ったときには、無言で席を立ってその場を去る。で、駅に停車したら別の車両に乗り換える。何故そんな無愛想な方法をとっているかというと、「譲るのがくやしいから」。本当は、堂々とそのまま座っていたい。私は冷酷な民主主義人間なので、基本的なスタンスとしては“弱肉強食”を地でいきたい、という思いが常にある。なので、年をとっていようが赤ん坊が腹の中にいようが松葉杖をついていようが、それはその人自身の極めて個人的な問題であって、自分には関係ないと思う。優先席に対しては、“そういう人の為に設けられた席なのだ”という認識があるので座らないし。


しかし、そう思っているつもりでも、よく分からない深層心理とやらは、私に「No」をつきつけてくる。それじゃダメだ、譲れ、と。子供の頃、学校や本やテレビから否応なくすりこまれた「弱い立場の人には懇意にしなければならない」という倫理観。“三つ子の魂百まで”じゃないけれど、今現在の自分として持っている価値観よりも、小さい頃にすりこまれた価値観のほうが、誠に残念ながらずっと強い。なので、私はいつも後者の価値観に負けて、席を立ってしまう。その時には決まって「ちきしょう」と思う。ああ不本意だ、と思う。そんなわけで、私は無言で席を立つ。まるで、リング上の敗者がうなだれてリングを降りるように。


ちなみに、道端や建物内に落ちているゴミや空き缶を拾うときも悔しい。何で私が拾ってんだろと思って腹立たしくも感じる。迷っている人に丁寧に道を教えてあげるときも(何故かよく道を尋ねられる、方向音痴気味なのに)、教えている最中は必死なので思わないけれど、そのあとに悔しくなる。「なに丁寧に教えてんだよ、ちきしょうめ」と思う。こんなんだから、絶対にボランティアなんかできないと思う。悔しさと自分に対する腹立たしさで、ぺちゃんこになってしまいそうだ。


(依存できるくらいの親切をすることは、以前は好きだった。そういえば以前にそんな話もさせてもらいましたね。へんてこなたとえ話で。)