秋の教育スペシャル!たけしの日本教育白書楽しくマジメに生放送


今(18:00〜)、フジテレビさんでやっている上記番組。話半分として、興味深く観ています。で、ちょいと思ったことがあったので、気持ち良く酔っていることだし、自分のことでも書いてみようかと思います。


私は「教育」というものの大半は、学校の先生によって受けました。家には、そんな事を教えてくれる人はいなかったので。なので、私と関わってくれた学校の先生に対しては今でも非常に感謝しています。恩人という言葉を使ってしまっても差し支えないと思うくらいです。


小学生低学年の頃、私は無法者でした。家庭でのイザコザが多大なストレスになっていたと思われ、学校では、窓ガラスを割ったり、誰彼かまわず殴りかかったり、学校の備品を片っ端からぶっ壊したりしていました。そんな私に対し、当時の担任のK先生は、根気よく叱り続けてくれました。時には尻を叩かれ、しばしばゲンコツを何発もくらいました。痛かった。あのゲンコツの痛みは、今でもよく覚えています。そして、そうやって叱ってくれたことが嬉しかったことも。それでも、家庭でのストレスが大きすぎたのか、私の暴れっぷりはおさまりませんでした。


そして小学校中学年。相変わらずの暴れっぷりの私の前に、新しく担任になったI先生があらわれました。I先生は、30代後半くらいの女性の先生でした。彼女は、例えば私が教室で他の生徒に暴力を振るったら、学校の隅っこにあった、古びた教材室に私を閉じ込めました。一時間も、ある時は二時間も。私は閉じ込められている間、教材に八つ当たりしたり泣いたりすねたりしていました。


そうこうしているうちに、I先生が鍵を開けにきます。たいてい私は泣いているか、すねて教材の影にかくれていました。そうした私に彼女は厳しく叱り、最後には少し抱きしめてくれました。「もうするんじゃないよ」と。本当に嬉しくてたまらなくて「もうやめよう」と思うのだけれど、またしてしまう。それでも彼女は、諦めずに、私を罰して叱ってくれました。そうやって一年が経った時、私の無法っぷりはおさまっていました。


大げさでも何でもなく、小学校以降、私が親から教わった事は、前向きで表向きなことは何一つありませんでした。人は信用できないとか、誰も助けてくれないから全て自分でやらなきゃいけないんだとか、壊れたものは元に戻らないとか、貧乏は罪だとか、自分以外の人は全て他人なんだとか、そんな事は親から教わった気がします。小学校の時のK先生、I先生、そして、口を酸っぱくして「努力の継続性」の大切さを教えてくれたA先生。彼らがいなかったら、今ここに私の姿はないと思います。確実に。


長くなってしまったので小学校の話だけにしておきます。結局、体罰を否定したり、平等を振りかざして順位付けをしなかったり、生徒と先生が友達みたいな関係だったり、そんな生温い教育では、子供は育たないのではないかなあと、想像します。


今、いじめ問題とか、いじめ自殺とか、色々マスゴミさんが騒いでおりますが、平たく言ってしまえば「ゆとり教育」とやらの弊害とか、PTAの力が強すぎたりとか、親も教師も子供に体罰を加えなくなったりとか、そういうところにも原因があるのではないでしょうか。子供って、ちゃんと教育しなかったら、ただの獣ですよ。程度をわきまえるのは言うまでもないけれど、体罰を否定したら教育は成り立たないと、確信しています。言えば分かるとか、気持ちを込めて伝えればきっと分かってくれるとか、そんな幻想は子供に対しては捨てるべきです。肉体的な痛みでしか矯正できないものも、あるのです。


と、思います。ぼえーっと話すつもりが、なんだか語ってしまいましたね・・・