ないものは見つからない


“太陽のため息”みたいな秋風が物悲しいせいか、ちょいとセンチメンタルな文面が多い今日この頃です。みなさまはお元気にやっておりますでしょうか。これを書いているのは10月7日なのですが、最近色々考えていたことが昨日頭の中でまとまったので、過去日記にて残させていただきます。例によって長くなりそうなので閉じておきますね。




「最初からないものを見つけることはできない」ということに気付いた(とゆうか認めた)。


例えばパズル。ちぐはぐしながら一生懸命パズルを組み上げていたら、ピースがなくなってしまった。


まだ相当な箇所の虫食いがあるのに。


手に入れて封を開けてから今までずっと休憩もせずに組み上げていたし、どこかに放り投げたりもしなかったし、落としたりもしていないはずなのに、何故かピースが足りない。それも、尋常じゃなく足りない。なくすはずはないと思いながらも「もしかしたらどこかに落ちてるかもしれない」と思い、周りをくまなく探してみたけれど、どこをどう探しても見つからない。だいたい探すったって、あたり一面すきま一つないフローリングの床の上で組んでいたのだから、床に這いつくばって凝視するくらいしかない。まさかと思ってフローリングの床をひっぺがしてみたりもしたけれど、あるわけがなく、無駄に床を傷つけただけだった。


ひとしきり探して傷つけた後、ある考えが思い浮かんだ。けれど、それは認めたくなかったし、もしそうだとしたら怖いしどうにもならないじゃんと思ったので、その考えは置いておくことにして、またツルツルのフローリングの床を這いつくばって凝視する作業を始めた。傷つけた床をさらに傷つけたりもした。


しかし、ない。尋常でない数の足りないピースが、どこを探しても、ない。もう這いつくばるのにも疲れたし、傷つけるのは痛々しくてたまらなくなってくるので、諦めて認めることにした。


そう、このパズルには、最初から、ピースが足りなかったのだ。尋常でない数のピースが、最初から欠けていたのだ。最初からなかったものを探して見つけられるわけはないし、パズルも、完成することは決してないのだ。これを認めてしまったら、もうどうしようもないのだけれど、絵柄はとても気に入っていたから、是非とも完成させたかったのだけれど、しかたがない、だってないものはないんだもの。



「最初からないものを見つけることはできない」、この事実をやっと認められそうで、さてこの後はどうするかと思案しているところです。尋常でなく欠けたパズルを抱えて途方に暮れ立ち尽くすのか、「これはこれで良いじゃん」と開き直って歩いていくか、絶望の果てパズルを燃やしてしまうか・・・今のところの心情としては、このパズルを手放して新たなパズルを探しにいきたいとゆうところなのだけれど、今までずっと付き合ってきたパズルで愛着もあるし、新しいのを探すったって、先が全く見えない一面フローリングの床のこの場所から、どうやって探せばいいのだろう・・・何はともあれ、立ち尽くしていてもしょうがないし、どんな形であれ動くしかないとは思うのだけれど。



・・・しかし、20代も半ばを過ぎているのに何を若いこと言っているんだこいつは、ってな感じですよね。ひとさまより成長が若干(若干?)遅めのようで、すみません。